スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

戦後70年~被害者見殺しで「平和」を語ってきた戦後日本人(太一)

(以下は昨年の8月、「戦後70周年」と騒がれていた時期に書いた記事です。)

15日、首相による談話があるそうですが、国民主権ではなく大メディア主権の国である日本では、その論点も争点も注目ポイントも、国民でも政府でもなく、全て大メディア権力が決めるようですね。

談話の内容も、国民の意思よりも、大メディア権力が「こうしろ」と命令した方向にせざるを得ないそうです。首相や政府の力ではとても大メディア権力には逆らえない。まさにマスコミは日本の独裁者ですね。


さて、毎年この時期になると、特別な左派運動家でない一般国民もよく、

「今の日本は本当に平和。この平和が一番大切。過去に日本に戦争があったことを忘れてはならない。過ちを繰り返してはならない。」

のような言葉を使います。

しかし私にはどうしても、「今の日本が平和」とは思えないのです。
何か重大なことを、見て見ぬフリをしているように感じるからです。


社民系組織メンバーの「拉致より憲法」発言に家族会反発 
秋田街頭で隣で活動中、「被害者家族の思い踏みにじる」
http://www.sankei.com/world/news/150804/wor1508040057-n1.html


この社民党系組織メンバーの発言が、「戦後70年間の日本人の平和」の本質を表しているような気がしてなりません。


増元さんは、

「旧社会党、社民党は拉致問題解決の障害になり、被害者家族の思いを踏みにじってきた」

と厳しく批判しました。非常に重い言葉です。

しかし被害者家族の思いを踏みにじってきたのは、旧社会党、社民党だけではないと思います。

被害者家族の思いを踏みにじってきたのは、たまに中途半端に拉致問題について触れてアリバイ作りをしたフリをしているだけのマスメディアでもありますし、被害者を無視して「平和」を語ってきた我々日本国民でもあると思います。


かずさんのコメントからの引用です。

=============================
「戦後」「戦争の悲惨さ」「平和の尊さ」「命の大切さ」という言葉を多用、もしくは安直に使用する人間は、戦争というものを一面的な見方でしか把握しようとせず、戦争の多面性や実像、平和を築き維持する事の難しさを微塵も理解していないし、理解しようともしていない
何となく生きている人間が、何となく空虚な戦争論や平和論を語って、戦争や平和について何となく分かった気になっているというケースが、非常に多い

日本人という、社会(世界)の実情を知らない内向的な引き籠りが、部屋(自国)に閉じ籠った状態で、メディアが齎す断片的で一方的な情報を妄信し、全世界の事を分かった気になっている
==============================



増元さんが言った、

「被害者家族の多くは安保法案の議論に違和感を覚えている。約40年前に日本人が北朝鮮に拉致された時点で戦争が始まっている。戦っている被害者を放置している状況が平和なのか」

これは非常に重い言葉です。

“平和”と呼ばれる現在もなお、このような被害に遭っているのは、拉致被害者家族だけではありません。まず国内から見てみます。

韓国に殺害された竹島の漁師達やその遺族は、本当に「平和」なのでしょうか?

ロシアに殺害された北海道の漁師達やその遺族は、本当に「平和」なのでしょうか?

シー・シェパードら文化差別レイシストから世界規模の嫌がらせを受け続けている太地町の人達は、本当に「平和」なのでしょうか?


彼らは皆、幸福で文化的な生活を営むという「基本的人権」を奪われた状態にあります。


海外権力による直接の被害以外にも色々あります。
最近でもいじめ自殺や凶悪殺人事件は後を絶ちません。

いじめ自殺をした人は、本当に「平和」なのでしょうか?

凶悪殺人事件の被害者は、本当に「平和」なのでしょうか?

さらにそれらの事件の犯人が未成年で少年法が適用され、犯人が今もその「平和」とやらに守られて生きている一方、自分の子供や親族をその犯人によって殺された遺族は、本当に「平和」なのでしょうか?

戦争と違って被害者が少数だからいい?

それを被害者本人の前で言えますか?
それは非常に冷酷な思想です。

よくよく、被害者の立場を自分の身に置き換えて考えてみてください。

私にはむしろ戦時中よりも、周りがのうのうと“平和”を享受しているフリをしている中、自分だけがそのように人権を奪われている状況の方が、よほど辛いと思いますが。


さらに国外、ごく近い国を見てみます。

巨大軍事大国中国によって、ナチスのような民族浄化と虐殺を受けている、チベット、ウイグルなどの人達は、本当に「平和」なのでしょうか?

巨大軍事大国中国によって未だに軍事侵略を受けている東南アジアの人達は、本当に「平和」なのでしょうか?


自分に何か特別な被害がないから、近くにそのように人権を奪われた人達がいても、平気な顔をして「平和」と言える。

戦前の日本や日本軍、安倍政権など、特定のものを「悪」と設定し、メディアや権威の言うことに従って「過ちを繰り返してはならない」のような、「同じフレーズ」を口にすることによって、権威に守られた安心感、心地よさのままに、自分がいい人だと安心しているだけではないでしょうか?

今回私が触れたようなことを本当に真摯に考えている人なら、そのような安易な台詞が出てきようがないからです。

そして、そうした「自称平和主義者」が声高に守ろうとする憲法9条。

この憲法や刑事訴訟法などには、抑えやすい「日本の国家権力」だけ抑えつければ、それ以外のもの、例えば外国の国家権力や国家以外のものによって人権を奪われた人は「泣き寝入り」すればいい、という冷酷な思想を私は感じます。

そして一般国民も、この「自称平和憲法」によって、身近な人達が人権を奪われていても、戦争状態にあっても、「自分は手を出さない」とだけ冷たく言い放つか、あるいは見て見ぬフリをする。


「平和主義者という善人」の「仮面の下」には、平気で困っている弱者を見捨て、その時優勢な強者に付いていくだけの、卑怯でおぞましい素顔が見え隠れしている。

私には、こうした戦後日本人のやり方はどうしても、以前に触れた「悪魔の魂」としか思えないのです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

小野太一 わかやまかず

Author:小野太一 わかやまかず
当ブログはHN「太一」とHN「かず」による共同ブログです。
我々の許可なく記事を転載する事は禁止しています。

※このブログや記事の主旨を理解する気が全くない人のコメントは荒らしと見做して削除します。

当ブログでは、平和主義や弱者の味方を装いながら実際は平和を脅かす外国権力に媚び、弱者の人権を弾圧する、自称リベラル・売国権力への批判が中心ですが、保守派でも右派でもないため、保守派や右派に対しても批判をすることがありますので、保守派や右派の方はご注意ください。それは決して、当ブログが「中立」だと装う意味でもありません。全ての人間にバイアス(偏り)があり、中立な人間など存在しません。我々は、自分達がおかしいと思うものを批判するだけです。

また当ブログでは日本人の特性を痛烈に批判します。日本人批判をするとすぐに朝鮮人認定するネット住人がいますが、そうしたネット住人を社会から疎外している存在こそ、日本人の特性であり、ネット住人が日本人を手放しで称賛するのは、自分を阻害している存在を称賛するという矛盾があります。

とにかく当ブログでは、あらゆる権威や既存の価値観・分類と関係なく、自分の頭で考えて批判すべきものを批判します。読者の方々にも、「権威や既存の価値観と関係なく、自分の頭で考えること」をお勧めします。


にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

国内ニュース ブログランキングへ

人権 ブログランキングへ

ニュース全般 ブログランキングへ

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。