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被害者や遺族の人権を踏みにじる日本の司法とメディア(かず)

【川崎中1殺害】父親「軽すぎる」「納得できぬ」…
『本日、遼太の命を奪った犯人に判決が出ました。犯人に対する刑は、9年以上13年以下の不定期刑でした。受け入れなければいけないのでしょうが、私は、どうしても納得することはできません。遼太の命が、一人の命が奪われているのです。それも目を背けたくなるような残虐なやり方でした。犯人に対する刑は軽すぎると思います。少年なら、残虐な方法で人の命を奪っても、しばらくすれば社会に戻って来られると宣言しているようなものです。遼太の命が軽く扱われているようで、遼太がかわいそうでなりません。
 犯人に共感性が欠如しているとかありましたが、18年の人生で形づくられた人格です。9年から13年の教育で更生できるのでしょうか。凶悪犯罪については、少年法は必要がないのではないでしょうか。
 犯人は反省をしているとのことでしたが、私にはそのようには思えません。今回の公判中、犯人は一度も私たちを見ることはありませんでした。結局、一度も目を合わせることなく終わりました。犯人の親も同じです。いまだに謝罪しようという意思すら感じられません。自分の子がしたことの責任を取る気のない親に、子を更生させることができるのか、たいへん疑問です。』
http://www.sankei.com/affairs/news/160210/afr1602100035-n1.html
 
全く同感です。
因みに被告や被告の弁護士らは法廷でこんな主張を展開していました。
 
 
【川崎中1殺害】被告人質問詳報(4)完 「首やったら死ぬかなと思い、切りました」 「上村君にひどいことをしてしまった」と反省
『被告「『殺してやる』と思いました。これはけんかのときの冗談半分の気持ちで」
 弁護人「ほほを切った後、腕や足を切っていますが、どう気持ちが変わっていきましたか」
 被告「痛めつけてやろうと思いました」
 弁護人「怒っていた」
 被告「はい」
 弁護人「なんで首を切ろうと」
 被告「首やったら死ぬかなと思い、切りました」
 弁護人「確実に殺そうと思った?」
 被告「いざやったら自分じゃできないと思いました」
 弁護人「殺してみようという気持ちはあった?」
 被告「殺そうと思ったけど実際はうまくできなかったです。怖くなりました」
 弁護人「力は思い切り入りました?」
 被告「力はあまり入らなかったです。自分ではできないと思い、Cに『替わって』と頼みました。Cに自分の代わりに切ってほしいというのと、止めてほしいという気持ちが半々くらいでした」
 弁護人「Bに対しても代わるよう頼んでいますが、これも同じですか」
 被告「はい」
 弁護人「止めてほしい気持ちと言いましたが、途中でやめようとは思わなかったのですか」
 被告「やめたら、その後どうしたらいいのかわからなかったです。救急車などを呼ばれて捕まるのはこわい。上村君がX兄などに言いつけてしまえば、自分が仕返しをくらうと思いました」
 弁護人「最後はどうしたらいいかわからない状態?」
 被告「どうしたらいいかわかりませんでした」
 弁護人「Cが途中でやめようと言っていたらどうでしたか」
 被告「やめていました。やめてCと一緒にどうしたらいいか考えていました」
 弁護人「B、Cに対しては今どのような気持ちですか」
 被告「巻き込んじゃったなと思います」
(以下略)』
http://www.sankei.com/premium/news/160202/prm1602020012-n1.html
 
【川崎中1殺害】「強い殺意なかった」「瞬間的に暴走し殺害」 初公判で弁護側
『検察側は冒頭陳述で、「上村さんの頬をカッターナイフで数回切りつけ、血がにじむのを見て『中途半端な傷で帰せば捕まったり報復を受ける』と思い殺そうと決意した」と指摘した。証拠調べでは、切り傷が首に31カ所、他の部位に12カ所あったことを明かした。
 一方、弁護側は「当初は、痛めつけるつもりのみで殺すつもりはなかった」と主張。家庭で手を上げられるなどした成育環境に触れ、暴力以外の解決能力が培われなかったなどとした。』
http://www.sankei.com/affairs/news/160202/afr1602020015-n1.html
 
どう足掻こうが、人ひとりの命を奪った、明確な殺意をもって人を殺めた、残虐非道極まりない殺人を実行した事に変わりありません。
 
 
川崎中1殺害 リーダー格少年あす判決 殺害時の心理や成育環境焦点
『弁護側は「殺意は強固ではなく、更生の可能性はある」と訴えている。
 生育環境について、少年と面談した臨床心理士は、父親から日常的に体罰を受けた影響もあり「(他人の痛みへの)共感性が乏しい」と公判で証言。』
http://www.sankei.com/affairs/news/160202/afr1602020015-n1.html
 
体罰を与えていた父親を誤って殺害した、あるいは止むに止まれず殺害したというのならまだしも、父親ではなく、自分よりも年下の少年を集団で惨殺したんですから、『虐待の所為で他人の痛みへの共感性が乏しかった。だから赦してくれ』などという言い訳は通用しませんし、殺人が正当化される訳がないのですが、法曹界や精神医学の分野、「人権擁護」「反権力」を謳う人達の間では、この様なとんでもない主張が通用する様です。
そもそも、『親から虐待を受けた人間は、他人の痛みへの共感性が乏しいから凶悪犯罪を起こし易い』と解釈されかねない証言、要は差別的な主張を展開して、極刑を回避しようとする事が許されるのでしょうか。
 
 
(追記)
太一さんのコメント
『この父親が言っている「被害者の命が軽く扱っている」というは重い言葉です。日本の刑事司法が被害者の人権を軽視していることがあらためて感じられます。
酷い人権侵害を受けた被害者の人権をさらに軽く扱って毀損する。遺族の人権も毀損する。これが日本の司法の現状です。
そもそも、「人は殺されたら人権は無視する。まだ生きている殺人者の人権の方を重視する」というキリスト教的な「冷たい合理主義の人権」の定義を、キリスト教と全く価値観の異なる日本が猿真似すること自体に無理があります。殺人鬼であろうとも生きている人間の方に人権があるとか言うおぞましい合理主義。まさに殺し得、殺され損です。そんな制度を猿真似するから、日本の司法は日本国民の心からの信頼を得られないんだと思います。』
 
太一さんのコメント
『<『親から虐待を受けた人間は、他人の痛みへの共感性が乏しいから凶悪犯罪を起こし易い』と解釈されかねない証言、要は差別的な主張を展開して、極刑を回避しようとする事が許されるのでしょうか。>許されるどころか、奴等にとってはこれが最後の拠り所らしいですからね。本当に連中の差別に対する感覚、人権意識の低さには開いた口が塞がりません。』
 
僕のコメント
『そう言えば、こんな記事もありました。
メディア従事者は人の事をとやかく言える立場にない、人間の屑の中の屑ですよ。
 
【マスコミ】SNSからバス事故大学生の顔写真を入手する大手マスコミのやり方に違和感や批判意見「死んだらフリー素材になる」©2ch.net
『2016年1月15日未明、軽井沢町でスキーツアーの大型バスが道路脇に転落し、運転手2人と大学生12人の計14人が命を落とした。
これを受け、朝日、読売、毎日、産経の4紙は、亡くなった大学生の生前のエピソードと顔写真を17日付朝刊に掲載した。実は写真の多くは、犠牲者本人がフェイスブックやツイッターで公開していたものだった。テレビ局でも同様の写真を使用していた。
 
掲載された大学生たちは亡くなっているため、本人からの許諾は当然得られていない。無断だとすれば使用に問題はないのか。
すべての人には「承諾なしに、みだりにその容貌、姿態を撮影、公表されない権利」とされている肖像権がある。
日本の法律でこれを明文化したものはないが、判例によって認められている。そのため大手マスコミは肖像権を不当に侵害しないことを自社の報道ガイドライン等に記している。
その上でマスコミは大きな事件や事故が起きた際、被害者や加害者の顔写真を報道してきた。
マスコミには「公共・公益のため」という大義名分があり、写真掲載も法的に問題ないと考えられている。
 
今回のようにSNS上の写真を使用することも同様の認識のようだ。日本新聞協会の公式サイトには、元知財高裁判事の三村量一弁護士の話として「ソーシャルメディアに投稿された顔写真についても同様に、報道目的であれば許諾なしで利用できると述べた」と記されている。
なお、写真は著作物だが、報道や批評、研究などのための正当な範囲内であれば引用が認められている。
4紙のうちでは朝日新聞のみ「フェイスブックから」「ツイッターから」と一つ一つに出所を明示していたが、これは引用条件に配慮したものとみられる。
 
■「倫理的な是非についてはもう少し議論していかなければならない」
 
しかし、法律上は問題なかったとしても、倫理的な観点から疑問視する人は多い。ネット上では、大学生たちの写真の入手先がSNSだと分かるやいなや、違和感を指摘する声や批判的な意見が数多く上がった。
「死んだらFacebookの写真はフリー素材になる」「最近のマスコミは被害者顔写真をカジュアルにFacebookからパクってくる」といった皮肉も少なくなく、「死後情報公開意思表明カード」が必要になるとの提案も飛び出した。
 
元新聞記者で法政大学准教授の藤代裕之氏は17日、Yahoo!ニュース個人に寄せた記事の中で、「個人が身近に使っているソーシャルメディアの写真を死後に『勝手に』使われる気味悪さ」を指摘。
その上で、「現状のルールでは『引用』の範囲内だとしても、社会的に課題があるとすればマスメディアは扱い方を検討すべきですし、社会的な制度としても議論されるべきです」と主張した。
 
ジャーナリストの佐々木俊尚氏も17日、自身のFacebookで「このようなかたちでSNSから被害者顔写真を転載することへの倫理的な是非についてはもう少し議論していかなければならないんじゃないかな」とコメント。
さらに記者側の観点として、「『ガンクビとり』(編集部注:記者が加害者や被害者の顔写真を家族・知人から入手することを表す業界用語)という苦痛と悔悟をともなう行いが、Fbからの転載という机上の非常に簡単な作業に変わることによる『安易さ』が記者の側の当事者意識に何をもたらすのか、という視点も必要」と述べた。
http://www.j-cast.com/2016/01/18255878.html』
http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1453188594/』
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当ブログでは、平和主義や弱者の味方を装いながら実際は平和を脅かす外国権力に媚び、弱者の人権を弾圧する、自称リベラル・売国権力への批判が中心ですが、保守派でも右派でもないため、保守派や右派に対しても批判をすることがありますので、保守派や右派の方はご注意ください。それは決して、当ブログが「中立」だと装う意味でもありません。全ての人間にバイアス(偏り)があり、中立な人間など存在しません。我々は、自分達がおかしいと思うものを批判するだけです。

また当ブログでは日本人の特性を痛烈に批判します。日本人批判をするとすぐに朝鮮人認定するネット住人がいますが、そうしたネット住人を社会から疎外している存在こそ、日本人の特性であり、ネット住人が日本人を手放しで称賛するのは、自分を阻害している存在を称賛するという矛盾があります。

とにかく当ブログでは、あらゆる権威や既存の価値観・分類と関係なく、自分の頭で考えて批判すべきものを批判します。読者の方々にも、「権威や既存の価値観と関係なく、自分の頭で考えること」をお勧めします。


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